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大阪 星野仙一後援会
 通称『虎仙会』のホームページへようこそ!
 当会は星野氏と長年の友人関係に基づく、
 私的な集まりを通じ物心両面に渡る応援をする会です。


星野仙一 取締役副会長 テレビ&ラジオ・新聞・雑誌への出演の予定

2017年5月27日(土)23:00〜23:55

<放送局>

テレビ東京

2017年5月27日(土)25:00〜25:55

<放送局>

BSジャパン

<番組名>

SPORTSウォッチャー

星野仙一さんをゲストに迎え、好調楽天イーグルスの要因をうかがいます!

そのほか、東京五輪日本代表についての提言など、ここでしか聞けないトークが満載。






2009/5/20

コラムニストを全う


 先週まで、毎週水曜朝のこの欄を連載執筆していた西中和光さん(72)が13日未明、亡くなった。最終回が掲載されたのがその13日朝だったから、新聞が配られたころには既に旅立っておられたことになり、コラムニストとしての責任を全うされた実に見事な最期だった。
 西中さんとの出会いは2001年晩秋のこと。氏が懇意にしていた星野仙一氏が阪神タイガース監督に就任することになり、親しくしていた弊社の吉岡利固社主に相談があった。その時『元トラ番記者』として呼ばれ手伝うように指示されたのが最初だった。
 最初に「虎仙会便り」として連載がスタートしたのは、星野阪神2年目の03年開幕当初。それまでスーパー「ダイエー」役員をはじめ企業人としては長年活躍されたが、書く仕事にほとんど縁がなかった人だ。もちろん、パソコンで文章を書いたこともない。しかし、弊社「日本海新聞」のロゴ入りのます目原稿用紙に愛用のボールペンで書きなぐるように、恐るべきエネルギーで毎週執筆された。それは毎回星野仙一への愛情にあふれ、タイガースへのフロントには時に厳しかった。後日伺ったことだが、西中さんの手厳しい球団や親会社批判が出るたびに、星野監督は「すみません」と頭を下げて回ったそうだ。しかし、その際に「だけど、ホンマのことでっしゃろ」と付け加えることを忘れなかったあたりに、2人の絶妙のコンビぶりがうかがい知れる。
 03年リーグ優勝を花道に星野氏が監督を退いた後は、連載コラムを「西中和光の吼える」に模様替えして、タイガースやプロ野球だけでなく広くスポーツ全般、さらに政治、経済、街づくりや外国のリポートまで幅広く健筆を振るった。
 06年秋に「膵臓(すいぞう)がん、余命2カ月」と宣告された直後に、私を訪ねて来られた。病気のことを切り出され「これから抗がん剤治療による厳しい闘病生活に入る。ついては連載を終了したい」と申し出られた。「せっかくここまで続けられたのだから、できる限り書かれたらいかがですか? 私もお手伝いします」と答えると「それなら、可能な限り頑張ってみようか?」と一転継続が決まった。
 以来、連載は今年初めに病状悪化で急きょ休載した週を除き、途切れることがなかった。「チーム西中」ともいうべき医療態勢を整えた津市の永井病院は、院長が星野氏と親族関係にある。入院中には、同病院ナースステーションから原稿のファクスが届いた。星野氏とともに豪州ゴールドコースト入りしている時は、周辺の友人知人を介して私のパソコンにメールで原稿が着いた。同じように星野ジャパンのアジア1次予選の台湾、北京五輪の本番の時には、時間的に切迫していたこともあり、息せき切って国際電話で「ええか? こう書いてくれ」と口述筆記を要請される日もあった。
 最期を迎えられた西宮市の兵庫医大に入院された今年4月始めからは、かなりの綱渡り執筆になった。当初は、永井病院時代のようにナースステーションからファクスが来ていたが、後半には携帯電話で直接やりとりして内容を詰めた。途中で、電話を代わった奥さまの富子さんに伺うと「相当厳しく、もう退院は難しい」と分かった。
 最後の電話をもらったのは5月9日の午後。富子さんから電話がかかり「ちょっと代わります」と告げられた。電話口で息遣いが聞こえるが、ため息のような声は言葉にならない。私は「19日に大阪・中之島のリーガロイヤルホテルで開催される虎仙会総会とディナーパーティーが気になっているのだな?」とピンと来て、「パーティーの件なら大丈夫ですよ。資料はもらっているので、私が全部書きます」と告げると、消え入りそうな声で「よっしゃ」とだけ応えられて電話を切られた。まだ話せるころに「5分でも10分でも(総会に)出たいんや。写真だけ(一緒に)撮ってな。皆に会いたいんや」と話しておられたから、気になって電話してこられたのであろうと気付いた。それを思い出しながら、私が西中さんに代わって絶筆となった原稿を書き上げ、いつも通り12日朝に編集デスクに手渡した。
 以前、私が入院先の病院に見舞いに行くと、さも大事な話があるふりをして点滴をぶら下げたまま階上の食堂まで誘い、2人きりになって自分は好物の天ぷらうどんをこっそり注文した。3分の1くらいしか食べられず「(心配する)ワイフに見つからんように、早よ下げといて」と従業員に照れながら頼んでおられた。星野氏は弔辞で「もう好きな酒も天ぷらうどんもやってエエよ」と涙しておられたから、同様のかわいい振る舞いが何度かあったのだろう。
 今の平均寿命で考えれば、72歳はいかにも早い。しかし、がん宣告以来1年ごとにリセットし続けた目標は既に3回り目を迎えていた。生前言われた「監督(星野氏のこと)のおかげで、オレは新しい目標がどんどんできて幸せだった」は実感だろう。
 通い慣れた阪神甲子園球場の記者席「大阪日日新聞」の定位置で、ナイターを取材するその姿はもう見られない。「もう少し、夜が暖かくなったら一緒に行きましょう」との約束を、遺影とともに近いうちぜひ果たそうと思っている。
 (「西中和光の吼える」は今回で終了します。ご愛読ありがとうございました)


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