先月28日、星野仙一阪神球団シニアディレクター(SD)の監督として最後の「虎仙会」優勝祝賀パーティーが、中之島のリーガロイヤルホテルで1000人近い参加者
が集まり行われた。
会場でビデオ上映された優勝シーン、そして星野監督の胴上げ。関西に元気と勇気をくれたあの感動の数々をあらためて目の当たりにし、場内では前回優勝から流れ去った18年の歳月や来年からの新生タイガースの行く末を予測する声などで輸が次々と広がった。
参加者全員が「星野監督ありがとう」という気持ちだった。ダメ虎と言われた集団をたった2年間で変えた星野イズムの素晴らしさ、そしてその引き際の潔さなど、あまりにも印象は強烈だった。
上山英介副会長(大日本除虫菊会長)のあいさつに続き、名誉会長の福井俊彦日銀総裁のメッセージは感動させた。土壇場での出席見合せも、翌29日になって分かったのだが足利銀行の債務超過による公的資金投入一時国有化というギリギリの決断シナリオがそのころ、進行していたのだ。総裁の写真が投影され、日銀大阪支店長が代読した。「六甲おろしの3番“鉄腕強打幾千度(いくちたび)、鍛えてここに甲子園”という歌詞が私は大好きです。思うに、星野監督のご指導の下、若い力を鍛え抜き、投攻守走のすべてにわたり、持てる力を発揮され、甲子園にふさわしい野球を展開されました。これが最終的に他チームを圧倒する優勝につながったの
だと思います」という内容だった。来年の岡田タイガースヘの期待にもさりげなく触れ、よく気配りされた書葉の連続だった。
待ちに待った星野SDのあいさつは、浮き立った雰囲気の会場が一瞬静まり返った。先月3日の優勝パレードに触れた時だ。「雨の御堂筋、そして神戸。土砂降りの雨の中、朝の6時から傘も差さずに待っていてくれて“ありがとう”と声を掛けてくれて……」と話すうち言葉に詰まり、思わず目頭を押さえたからだ。会場からもらい泣きの声が漏れた。星野SDは情熱家で熱血漢だが、他人の前でめったに涙を見せない。その男がファンの心に涙した。虎仙会という身内の者ばかりだったこともあろうが、皆のハートに強く響いたその光景だった。
多忙な日程の中、親友で野球評論家の田淵幸一前コーチをはじめ和田豊、佐藤義則両コーチ、現役から桧山進次郎、八
木裕、矢野輝弘の各選手も駆けつけてくれた。
吉岡利固最高願間(エフワン会長)小池一夫名誉顧問(小池書房社長)らによる鏡開きに続いて、乾杯の音頭は西川善文副会長東京支部長(三井住友銀行頭取)。芸能人のゲストや特別参加も多かったがコシノヒロコ婦人委員長(デザイナー)のあでやかだったこと。男ばかりの中で紅一点が際
立っていた。
ちょっとした趣向として前監督付広報だった平田勝男新ヘッドコーチに虎仙会から感謝の印を贈った。私はメッセージとして「この2年間本当にご苦労さんでした。朝から晩まで星野監督と行動をともにし、星野イズムが身に付いて“平田仙一”と言われるくらい星野監督について勉強されました。将来星野イズムを実行できるわれわれのホープとして平田の星を輝かせ、夢を追い続け、ファンに感動を与え続けていただくよう、がんばって下さい」という内容の言葉を添えて贈った。
思えば、午前中の虎仙会主催「優勝記念ゴルフコンペ」も土砂降りの予報だったのに、星野SDの人徳からか一滴の雨も降らなかった。
時は変わり場所は変わっても、私たちはいつも星野仙一と一緒だ。皆その思いがあらためて深まった一日だった
大阪日日新聞 毎週月曜日掲載 2003年11月24日号
いまだに「星野監督はなぜ辞めたの?」と周囲に聞かれる。週刊誌などではあたかも星野仙一シニア・ディレクター(SD)が、久万俊二郎オーナー(阪神電鉄会長)と仲たがいして開き直るような形で監督の座を去ったように書かれている。
まず強調しておくが、とんでもない間違いだ。SDは本当に体がギリギリのところに来ていた。緊急入院するほどではないとしても「シーズン中にリタイアすることは絶対にできぬ」という勝負師としての哲学が彼を突き動かしたのだ。
SDとオーナーというより電鉄経営陣の間に、確かに考え方の違いはあった。しかし星野は彼らよりずっと大人だ。相手の考えや立場を考えずに自分の要求をぶつけたり逆に抗議したりするような浅はかな男ではない。
それでも、彼の本音の吐露は種々垣間見える。例えば「老害」という言葉をよく使っている。表面的には巨人が原辰徳監督を切った時に渡辺恒雄オーナーに対して「このままではプロ野球はダメになる」と厳しく批判している。阪神電鉄に対してはその著書「夢」で「電鉄会社は非常に手堅い経営体質で、プロ野球のような興行的要素を持った事業に理解が足りない」と指摘している。
それにしてもSDはオーナーに対して、キチンと礼をつくし直接間接を含め批判的な言動は一切行っていない。一方のオーナーは先週発売の週刊文春で「独占告白/星野辞任の全真相」としてベラベラと自己弁護を繰り広げている。「確かに私は星野にいろいろ言うてきたわけです。星野は怒ってますが、私は訂正しません。言うてきたらケンカになりますよ」と居丈高に開き直っている。
元はといえば2人の関係がこじれたのは、オーナーが文春系の雑誌「ナンバー」で優勝目前の星野監督の補強方針に苦言を呈したからだ。オーナー周辺は当然知っているのだが、文芸春秋社は以前にSDに対して不正確な記事を週刊文春誌上で掲載し、阪神監督就任以来一貫してSDから“取
材拒否”を受けている社だ。時が経過しても同社側から一切の謝罪や釈明はない。それどころか、オーナーに好き勝手なことをしゃべらせ、SDと離反する流れを画策したのだ。そうした社の刊行物に進んで登場すること自体、オーナーはSDに対して挑発的な態度を自ら作り出していることに
なる。分かりやすく言えば“嫌がらせ”なのだ。
SDに代わって言わせてもらえば、82歳の電鉄会長の存在自体が既に『老害』だ。長引く不況の中で、関西の大手私鉄5社はここ2年ですっかり経営陣を若返らせた。社の体質を改善し、長期的視野で経営戦略を立て直し厳しい経済環境を乗り切ろうという決断だ。阪急、京阪など50歳代で社長就任も珍しくない。ところが阪神だけは2世代は優に年上の経営者がのうのうと多数居座っている。電鉄社内でも「このままでは経営陣に年齢断層ができる」と気をもんでいるが、直接トップのオーナーに進言できる者が1人もいない。
オーナーはリーグ優勝直後にスポーツニッポン新聞紙上で「星野を始末して、私も去ります」と公言している。SDが理由はどうあれユニホームを脱いだのだから、オーナーも悪あがきはやめ、自らの言葉に最後まで責任を持ち潔くすべての公職を辞してもらいたい。
大阪日日新聞 毎週月曜日掲載 2003年11月17日号
タイガースのリーグ優勝を記念する虎仙会のチャリテイーゴルフとパーティーが行われる28日まで10日余りに迫った。事務局の追い込みの作業も大変だ。ゴルフは大人数のため組み合わせに苦慮し、パーティーも「ぜひ出たい。何とかして」との申し込みが引きも切らず、連日整理に苦労している。
その中で問い合わせとして「虎仙会はどうなるのか?」との声が依然として多いので再度紙面で報皆しておく。
確かに星野仙一前監督は、阪神球団のオーナー付シニア・ディレクター(SD)という聞き慣れないポストに就き、来季はユニホームを着ないでタイガース全般を受け持つことになった。
「なぜSDなのか?SDは何をするのか?」などの細部についてはこのコラムでも折々に触れるつもりだ。大切なのは
星野は来季もタイガースの一員であり、チームにとって重要な位置を占めるという点だ。週刊誌などでは勝手に「星野は来年の参院選に出る」とか「ポスト長嶋茂雄を狙って、当分は文化人としての活動を行う」とか書いているが、近くにいる私などに言わせると無責任な憶測にすぎない。星野仙一は野球から離れる気はないし「生涯野球に携わる仕事をする」と決意している。
虎仙会は星野SDがチームにとどまる限りこのまま継続する。
来季も、シーズン開幕前の3月に総会を兼ねたパーティーを行う。そして好評の観戦会も開幕シリースだけでなく、5、7、8、9月と今年と同じように行う。7月のゴルフ会や11月の囲む会も同様だ。
おそらく来年の今ごろ、星野SDの現在の契約が切れ新たな進退も決まるだろう。その結果によって、虎仙会の行く末も再度協議しようと思っている。
もし阪神から去るようなことがあれば、虎仙会は解散し星野仙一を囲む会を新たに作る。野球人星野が好きで「一緒に見守って行こう」という仲間の会だ。虎仙会とは根本的に会の性格が異なるので、大阪や東京の仲間が新たに集い再スタートすることになるだろう。要は虎仙会でともに味わった感激を、心ある人だけで集まり直し星野仙一を生涯の友として継統して行こうというものだ。
星野SDは相変わらず忙しい日程をこなしているが体調は良い。先日も今年で20年目になる岡山市内の社会福祉施設への激励慰問をし、入所者と交流した。「ぼくのいない来年のプロ野球?大丈夫、期待してくれていい。タイガースは弱くならない。巨人が(他チームの4番打者を手当たり次第補強する)アホなことをやっている。そんなアホなことをするのを、やっつけるのがタイガース」と意気軒高だ。
ユニホームを脱いでも「私の仕事はタイガースを強くすること」と言ってはばからない星野SDの役割はますます大きくなっている。
大阪日日新聞 毎週月曜日掲載 2003年11月10日号
いよいよ虎仙会の「優勝記念チャリティー。ゴルフ大会」と「祝勝パーティー」が28日に迫った。
ゴルフは朝7時半から関西ゴルフ倶楽部(兵庫・吉川町)で172人、パーティーは夕方6時からリーガロイヤルホテル(大阪・中之島)で800人を超える参加申し込みがあり、いずれも締め切った。
その後も「ぜひ参加したい」という希望者の声が相次ぎ、事務局で対応に追われている。丸2年前、「本当に星野仙一新監督と親しい者だけで」 と、事務局のあるビルの一室でのささやかな発会式からスタートした虎仙会。その成長過程と人々の支援の輪の重さを今更ながら実感している。
ゴルフはいつもながら、インとアウトの4ヵ所からのスタートという大人数ならではの方式で腕前に左右されずに楽しめるダブルペリア方式を取って皆に楽しんでもらう。
シニア・ディレクター(SD)に就任した星野前監督はもちろん、親友の野球評論家・田淵幸一前打撃コーチ、現役から八木裕内野手、虎仙会婦人委員長でデザイナー・コシノヒロコさん、虎仙会名誉顧問で大阪芸大教授の小池一夫・小池書房社長、歌手の細川たかしさん、作詞家の中村泰士さんら多士済々のプレーヤーが参加する。もちろん、参加賞はコシノヒロコさんデザインのトレーナーだ。
ショートホール2カ所を「チャリティーホール」とし、グリーンに1オンしなかった人に1000円ずつ出してもらい、星野SDを通じて白血病などの難病対策基金に役立ててもらう。
祝勝パーティーはホテルの最も広い部屋を使うが、取材陣も合め人であふれ返ることになりそうだ。虎仙会の役員はそろいの会特製優勝記念ハッピを着用して参加者を迎える。ゲストは、ゴルフ場から移動して参加するメンバー以外に、佐藤義則投手コーチ、来季ヘッドコーチに就任する平田勝男・前監督専任広報、現役選手から桧山進次郎選手会長、今岡誠内野手、矢野輝弘捕手が出席してくれることになっている。
以前にも書いたが、虎仙会は、星野SDが阪神タイガースに在籍している間は下部組織の虎仙ファンクラブとともに存続する。これは星野SDとも確認済みだ。将来タイガースを去る日が来れば「虎仙会」の名称は変わると思うが、星野仙一を囲み集う会として続けて行く。もちろん、会の規約や会質なども変わるだろうし、人数も減るだろう。しかし、星野仙一が夢を追い続けて行く限り応援する決意だ。
最後に星野SDの近況について触れておく。年内は各種行事やイベントなどで超過密なスケジュールが朝から晩まで続いている。それでもへ現役監督時代のように神経を極限状態まで高ぶらせることはないので、その分血圧や心臓などへの負損は軽減されている。
既に新チームの秋季キャンプも始まった。今年のシーズンは完全に終わったのだから、星野SDをそっとしておいてやってほしいのだが、実際はどこに行ってもファンのサインと握手攻めで、「その一言を聞き漏らすまい」と新聞記者だけでなく興味本位の雑誌記者などが常に聞き耳を立てている。本当の静かな日々が訪れるのは、もう少し先になりそうだ。
大阪日日新聞 毎週月曜日掲載 11月4日号
先月27日に日本シリーズ最終戦に敗れ、.翌28日に監督退任会見、そしてもう今日3日は大阪と神戸で優勝パレードと、星野仙一のこの1週間は本当に目まぐるしかった。
まずあの夜の福岡だ。悲願だった日本一を寸前のところで逸した星野監督を、娘さんや孫らの親族や私たちごく親しい者だけで待った。まんじりともしない雰囲気の部屋に、ドアが開いて監督が入ってきた。誰も声が出ない。監督も言に涙をためている。私も「監督!2年間ご苦労さん。本当にありがとう」という言葉をしぼりだすのがやっとだった。
中華料理を囲むころには、いつもの監督に戻って私に「来年はゆっくりゴルフやろな」と話しかけてくれた。来年チームに残ってアドバイザーをすること、監督室の隣に個室を用意されたが断って個人事務所を大阪市内に持つこと、住居や年俸の件など、心配する近親者に説明してくれた。もちろん、岡田新監督の下でのコーチ編成にも話は及んだ、そしてホークスについても「あのチームは本当に強い、親会社がガタガタしているのに、いいチームだ。来年はもっと強くなるよ」と感心していた。
試合前に、苦楽をともにしたトラ番配者たちと最後の茶話会を開いた。何人かの番記者は泣いていた。仕事を越え人と人との付き合いをした星野の人柄に共鳴してくれたからこその涙だ。監督は最後に「ありがとう」と言ってその場を立った。
翌日の監督交代会見は奇妙な光景だった。「星野と一緒に去る」と公言した久万オーナーが、知らぬ顔で真ん中で記念写真に納まっている。星野にすれば山ほど言いたいことはあったろうが、こんな厚顔で自らの言葉に責任を持たないオーナーに何を言ってもムダだ。星野の方がずっと大人だった結果の沈黙だ。しかし、会見で星野がチームや球団から距離を置こうとしているのは、誰が見ても分かった。
虎仙会について、屋野は「監督辞めたら会員は減るやろ。それてエェやないか。本当に気心の知れた者だけで1年に1回集まってゴルフすればエェんや」と言っている。会としては、星野が球団に籍を置いている限りは存続するづもりだ。
今日の御堂筋パレードについても、虎仙会の思っているものとかなり違った。会がトレーナーと帽子を用意し「ファンの手作りで警備と交通整理をすれば」と考えていたが、警察などに「それでは警備に責任が持てぬ」と反対されて断念。経費寄付も、商工会議所が窓口となったので会としてはノータッチになった。最後に虎仙会名誉会長の福井俊彦日銀総裁が一緒にオープンカーに乗ってパレードする案も「総裁警備に別途要員がいる」と指摘され断念した。
もちろん私を含めた多くの虎仙会会員は、晴れのパレードを見に行くが1ファンとして沿道からその姿を見るにとどめる。
残る会の公式行事は月末の優勝祝賀パーティーだけだ。星野はその会はもちろん、ファンとの集いなど予定されている行事は「すべて出る」と言っている。本当義理堅くどこまでもファンを大切にする男だ。
星野仙一監督の熱い思いが、阪神全選手に浸透し切った日本シリーズの甲子園3連戦3連勝だった。
シリーズ史上初の連続サヨナラ勝ちを含め、全試合を1点差での3連勝など「演出しよう」と思っても不可能な「プロスポーツならでは」の醍醐味だった。刃(やいば)の上を渡る真剣勝負の両チームの意気込みが、スタンドにいてもビンビン伝わってきた。見る者が胃の痛む思いの試合展開で、指揮官はありとあらゆる場面で神経を研ぎ澄まし、集中力を高める。その結果、想像を絶するプレッシャーで体が持たなくなるのも当然だ。
明暗を分けたのは、星野監督の猛虎に対する思い入れと気力、そしてこの名将の薫陶を受け、2年間で大きく成長した選手の冷静かつ緻密なプレーだった。
第5戦の勝利監督インタビューは、私にとって生涯忘れられないものになった。チームを後押ししてくれたファンに礼を言い、二度と監督としてベンチに座ることのない甲子園に別れを告げ、最後のあいさつを締めくくった。一塁側ベンチ前に戻って、星野監督は再度フアンに帽子を取り声援に応えた。私も涙が止まらなかった。周囲の者も皆泣いていた。不思議に恥ずかしさのない涙だった。これほどファンに愛され、たたえられ、そして感動を与えてくれた監督がいただろうか。男が一つの大仕事を終えて去る後ろ姿に「ありがとう」と拍手を送るしかない。
さて、今後の星野仙一はどう動くのだろう?私を含めた多くのファンは「1年でも2年でもチームに在籍し、指導してほしい」と願っている。
第一、星野野球を継承できる人材はまだタイガースにいないし、久万オーナーに対し正論で対抗できる人材も球団内外に見当たらない。星野はプロ野球というものを、戦術から経営まで日米を通じて知り尽くしている。常に勉強し続け、成長するたぐいまれな存在だ。健康の許す限り、阪神に留まりその間に球界改革まで考えてほしい。彼のやり方考え方に、球団フロントは数段及ばない。勉強もしていないし、親会社に対しての説明や説得力も劣る。
世の中は大きく様変わりし、もはや過去の経験や実績で高齢者が物を言う時代は終わった。刻々と進化し変化する状況に対応し実際にやれる人、やる人が必要だ。日本シリーズと並行して行われた米大リーグのワールドシリーズを、日本の多くのファンがテレビの生中継で観戦する時代だ。
日本球界の改革改善を実行できるのは星野仙一以外にない。「子供たちのために」と優勝パレードを祝日開催を決め、「次の球界を担う世代に」と去り行く原辰徳巨人監督に甲子園で最後のあいさつをさせた。こうした気配りを、瞬時にして思い付き実行できる星野の天才的な「企画性、実行力、責任感」の成せる技。球界だけでなく財界人や政治家も大いに参考になるはずだ。またそうした資質が今ほど求められている時代はない。
最後に星野監督の陰となり、2年間「監督付き広報」として裏方を務めた明大野球部の後輩、平田勝男氏にお礼を言いたい。一度は『スター選手』と呼ばれた男に、つらい日々もあったろう。本当にご苦労さまでした。