バックナンバー(旧・虎仙会便り)
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2009/4/22

星野SDに五輪担当ポストを

 2016年夏季五輪の立候補都市を対象にした国際五輪委員会(IOC)評価委員会の東京視察が終わった。東京都の石原知事は自公政権をバックとしているので、麻生総理が迎賓館で歓迎レセプションを開くなど大サービスだった。五輪開催地は、本命がオバマ大統領の故郷シカゴ(米国)、対抗は南米初開催を目指すリオデジャネイロ(ブラジル)といわれ、東京は穴馬。大穴がマドリード(スペイン)らしい。その理由は、前回の2008年がアジアの北京(中国)、次の2012年が欧州のロンドン(英国)だから「次はアメリカ大陸だろう」という漠然としたムードだ。
 日本は、戦後20年足らずの1964年に東京五輪を成功させ、高度経済成長に乗り奇跡の発展を遂げた。しかし、その後夏季五輪は、名古屋と大阪が立候補したものの、相次いで決選投票で落選し、どうも相性が悪い。名古屋では自殺者も出たし、大阪では府市財政破たんが噴き出して坂道を転がり落ちるように都市格が低下した。
 招致レースの決着は10月の決選投票だが、何とかこれまでの“日本の負の連鎖”を断ち切って、逆転勝利を果たしてほしい。そうなれば、150億円といわれる招致費用も安いものだ。もっとも石原知事は、若く見えるが9月で77歳の喜寿を迎える。現在3期目で10年が経過しているので、2016年東京五輪の開催時には、5期目当選後で84歳ということになる。いくら元気な知事でも、優秀な補佐役は必要だ。10月に開催地決定してからでは遅い。今のうちにスポーツだけでなく経済、財政の専門家集団を組織し「来るべきその日」に備えなければならない。
 私の勝手な夢だが、ぜひ星野仙一阪神タイガースシニアディレクター(SD)に、副知事級のポストを委嘱して五輪担当になってほしい。猪瀬直樹氏が副知事になって東京都は見違えるように官僚支配を脱し、よみがえった。東京五輪を開催するには、今回のIOC評価委員会の現地視察で集まったような元アスリートたちだけではダメだ。政財界に太いパイプを持ち、スポーツマインド豊かで、プロ球界にリーダーシップを発揮した星野SDのような実務に精通したカリスマが絶対必要だ。
 北京五輪の成功は、選手強化だけでなく、経済的発展のおかげといえる。東京五輪に必要なのは星野SDのようなマルチな才能だろう。ロンドンで正式種目から消滅した野球とソフトボールの復活も、もし東京開催で星野SDが動けば、再び日の目を見ることも可能だ。
 星野SDとほとんど接点はないが、イチロー選手(35)の日米通算3086安打は大したものだ。これまでの日本記録を持つ張本勲氏は23年かかった。それをイチローは、18年目のシーズン開幕当初に達成してしまった。米メジャーリーグに移って、昨年まで8年間すべて200本安打を記録している。単純に計算すると、あと6年計1100安打くらいでピート・ローズの世界最多の4256安打に届く計算になる。
 この背景には「日米の選手交流が以前より相当簡単になり、海を渡る日本の一流選手が増えた」という事実がある。野茂英雄投手が近鉄を任意引退選手になり、単身ドジャースに入団したころのことを考えると、先人に感謝しなくてはならない。ただし、公式記録上ではあくまで日本最多安打は張本氏であり、米国最多安打はローズ氏だ。日米をまたに掛けて活躍する時代に、記録システム自体がまだ追いついていない。
 その星野SDだが、先日久しぶりに会って話を聞くと、左足の甲を痛めていたそうだ。しかし、春の訪れとともに急速に回復。「もうゴルフも大丈夫」と笑顔も明るかった。
 私は体調を考えて、新装成った甲子園球場に行くことを、いまだにためらっている。週末はデーゲームなのでよいのだが、平日はナイター。新球場は、記者席が上部に上がり最上部の看板が撤去されたことで、まともに風がスタンドから記者席を吹き抜ける構造になった。屋外で夜風にさらされ続けるのは、がんを抱え闘病中の身にはこたえる。もっと汗をかく季節になってから、記者席に戻ることになりそうだ。
 既に世間はゴールデンウイークを控え、「何連休?」とかの話題でかまびすしい。今年は特に、例の高速道路1000円政策で、車で遠出する人も増えそうだ。しかし、世の中には、賃金を抑えるために無理やり「連休をすべて休め」と指示されている製造業の方も多くおられると聞く。私はこの時期を避け梅雨に、かつて勤務した北海道の明るい原野を車で走るのが好きだ。今年は体調と相談して「行けるだろうか?」と今から気をもんでいる。


2009/3/4

可能性秘める中国潜在力


 2カ月ごとに区切りがあるという意味で「1年六つ切り」という言葉がある。この間、正月だったと思ったらもう3月になった。人によって区切り方はあるが、経済では四半期ごとの3カ月単位。行政は4月からの新年度。プロ野球では、12、1月だけがオフで、4月から約半年間がペナントレースだ。

 巨人の原辰徳監督は、一昨年リーグ優勝した時は、CSシリーズで中日に敗れほとんど印象に残らなかったが、昨年は大逆転でリーグ連覇し日本シリーズでも最終戦まで見せ場を作り、男を上げた。WBC日本代表チームを率いて強化試合も始まり、ますます注目度が増している。

 一方敗れた阪神は、岡田彰布監督が引責辞任。ネット裏に移ってからの彼は、意外にといっては失礼だが饒舌ぶりで周囲を驚かせている。それでもスポーツマスコミは既に真弓新監督に重点を移し、ほとんど岡田前監督の活動がニュースとして報じられることはない。「原と岡田」その落差を考えると、プロ野球の世界はまさに“一寸先は闇”の天国と地獄の厳しさだ。

 世間では今年の阪神について「あと1枚、外国人長距離打者がいないと、とても勝ち抜けない」と危惧する声が高い。わたしは、金本、新井、赤星の主軸打者が実力通りの働きをしてくれれば「まったく心配ない」と信じている。野手陣は1人もWBCに取られていないので、開幕ダッシュも十分効かせられるだろう。

 そのWBCだが、次回4年後は第1ラウンドのアジア予選は、ぜひ東京以外でも実施してみて欲しい。昨夏の北京五輪で実感したが、中国のスポーツ施設充実ぶりには目を見張る。まだドーム野球場がないので、季節柄気候面での課題はあるが今の中国の経済成長を考えると開催の可能性は、日本以外では最もある。あの国は観光と興行を兼ねて諸外国からも人を呼び込める力を秘めている。旧満州の中国東北部の後ろにはロシアも控えている。わが国も、いつまでも欧米だけが相手では世界の潮流に乗り遅れる。人の行き来を活発にするには、経済の充実はもちろんだが、スポーツなど各種イベントも重要な決め手になりうる。北京五輪に続いて来年には上海万博もあり、世界に先駆けて息を吹き返すはずだ。

 わたしは自分の母校・関西大と星野仙一タイガースSD(オーナー付きシニアディレクター)の母校・明治大をいつも気に掛けている。球界では両校のOBが活躍しているが、中国北東部の大連に「大連ゴルフ場」という明大ゴルフ部OBの加藤さんというオーナーが作ったゴルフ場がある。つい先日までは市街地から車で約1時間半もかかっていたが、今では高速道路で約40分に大幅短縮された。まるで関西空港ができる前後の大阪周辺のように、行くたびにインフラ整備が進んでいる。その加藤さんが定期健診のため帰国しているので、旧知の北京カントリー倶楽部の原オーナーに紹介して、ネットワークの輪を広げるつもりだ。

 世界経済は減速期に入ったが、中国はまだまだ潜在力を秘めている。好況期のように「何でも中国」とはいかぬが、こういう時こそ、人と物のネットワークをフルに生かしてビジネスチャンスを生み育てていかねばならない。そのためにわたしも、残る人生を賭ける所存だ。


2009/2/4

経営者も社員も熱かった時代


 豪州から帰国した星野仙一阪神タイガースオーナー付きシニアディレクター(SD)と先週、今年初めて会った。年末に現地から電話をくれたが、何年ぶりかでSDと離ればなれの年末年始を過ごし、やはり寂しかったので元気な顔を見れてうれしかった。
 SDは北京五輪後、WBC監督問題の中傷にも耐えて沈黙を守った。気心の知れた原辰徳WBC監督に対しても一切干渉せず、今回の豪州滞在中も動かなかった。現地で好きなゴルフも自粛していたくらいだから、相当な決意があったのだろう。
 「お父さんも元気で何よりや」とSDは続けた。「今年の年末は一緒にあっちで過ごそうよ。やっぱり、寒い日本より暑いゴールドコーストにいる方が体調にもいい」と誘ってくれた。聞けば世界不況の影響で、現地の日本人も相当減ったり、入れ替わったりしているようだ。今年はぜひ行きたいものだ。
 自宅で静養している時、ふとロッテ創業者の重光武雄会長(86)、パイオニア中興の祖の石塚庸三社長(1982年、62歳で死去)、わが上司でもあったダイエー創業者の中内功元会長(2005年、83歳で死去)の大物三人を支え韓国を駆けずり回った1970年代後半から80年代の日々を思い出した。
 重光さんが在日韓国人一世の中でも戦後特筆すべき成功者であることは有名だが、祖国で会社を興されたのは60年代後半のことだ。69年、ロッテはプロ野球の東京オリオンズと業務提携し、その後買収。野球好きだったパイオニアの石塚社長と交友が始まる。その後、すでにスーパー「ダイエー」を軌道に乗せ全国展開を図っていた中内と組んで、韓国内でホテルや百貨店の事業を成功。両国内で確固たる地位を築いたことで、三者協力体制が出来上がった。当時ダイエーの社員だった私は、中内の指示でこの大物トリオの事務局のようなことをしていた。ロッテに他の二社が資本参加する直前までいったが、石塚社長がソウルで急死されついに実現しなかった。
 重光氏と中内の交友はさらに続き、80年代に入りロッテ球団をダイエーに譲渡する寸前まで話は進む。中内も大いに乗り気だったが、非上場のロッテに対し、ダイエーは71年に株式上場して本業以外で巨額の資本供出が一挙には出来ず断念した。結局、ダイエーは88年秋に南海ホークスを買収。本拠地の福岡移転を断行し、二人は夢だったプロ野球オーナーにそろい踏みする。
 目を閉じると、あの三人の耳目となって韓国や日本を飛び回っていた時を思い出す。70年代後半の韓国は朴大統領の軍事政権下で、エリート層は旧日本軍士官学校出身者が多かった。重光氏の韓国内での部下は「トップの命令は絶対」の人が多く、随分助けられた。
 ダイエーの社員も切れ者が大勢いて、今は千葉ロッテの社長兼代表をしている瀬戸山隆三君は、当時ダイエー本社の総務系社員だった。ホークス買収で、チームフロントに入りその手腕を発揮。ダイエーからソフトバンクに球団譲渡されたのを機に千葉ロッテに移った。彼がプロ入り時に交渉した縁で、大リーグから日本復帰した井口資仁内野手がロッテに入りを決めたことはあまり知られていない。
 当時は経営者もスケールが大きかったし、仕える社員も粉骨砕身してその期待に応えようと必死で働いた。今は時代が違うのかも知れないが、トップも社員もぬるま湯で人間関係は希薄だ。これでは国際競争にとても勝ち抜けない。当時の伝統は、すっかりお株を中国や韓国に取られて、日本企業は腑抜けた連中の集団に成り下がってしまったのは悲しい。


2009/1/21

プロスポーツの実態は?


 成人式を伝えるテレビニュースを見ていて、男女とも言葉遣いが甘えたような巻き舌風で、服装や顔つきにまったくといってよいほど締まりがないのに驚いた。

 世界に目を転じれば、中東ではイスラエルによるガザ地区への猛攻で多くのパレスチナ人が死んでいる。欧米では厳しい不況で明日の生活もままならない人が増え、日本だって派遣や期間労働者が解雇され路頭に迷っている。この寒空に皆いきるのに必死だ。

 根本的に今の若者から「なにくそ」というハングリー精神が感じられない。学校教育で平等ばかり教えられて競争することを忘れ、社会に出たら一挙に「食うか食われるか」のノルマに追われた生存競争が延々と続く。そうした社会の仕組みに今の若者は、対応する構えがまったくできていない。せめてプロ・スポーツくらいは“疑似戦闘”世界を存分に見せて「これでもか」という本物の厳しさを、しっかり見せつけてほしい。

 そういった意味では、朝青龍のよそ行きの顔をかなぐり捨てての中8日目の全勝Uターンは大した物だ。今場所の国技館に詰め掛けるお客さんは、かなりの数が「朝青龍がそろそろ負けるころだ」と期待して見ているのをヒシヒシと感じる。発言は横柄、土俵マナーも最悪、支度部屋でも謙虚さもみじんもな感じられず態度は常に悪い。日々、他の力士の反面教師を堂々と演じ続けるその姿こそ、この横綱の真骨頂。自らを意識して悪役に徹する力士など過去にも聞いた事がない。恐らく引退となればさっさとモンゴルに帰国するつもりで、腹をくくって開き直ったのだろう。「勝ちゃぁいいんだろう」の高笑いが聞こえてくるようで、後半戦はますます世間の感心を呼ぶだろう。

 そういう意味では“ハングリー・スポーツ”の代表格であるプロボクシングの世界タイトルマッチが年末年始に3試合も行われ、注目して見たが、どれも内容的にはパッとしなかった。

 まず昨年末のWBC世界フライ級・内藤大助の4度目防衛戦。13位の山口真吾など本来の相手ではないはずなのに、11ラウンドまで手こずった。あんな弱いパンチでは次回は完全な赤信号。悪役・亀田大毅のおかげで有名になったツケが今になって回ってきた。

 続いて、新年のWBC世界スーパーフライ級・西岡利晃の初防衛戦。振り回すだけの7位ガルシアに、西岡は得意の右拳を痛めていたこともあって、勝ちはしたがまるで精彩を欠いた。ベテランらしいといえば聞こえはいいが、チャンピオンとしての強さは感じられなかった。

 最後はWBA世界ライト級・小堀佑介の初防衛戦失敗。こちらは相手が同級1位モーゼスとあって完敗だった。手数もリーチも断然劣り、小堀はひたすらラッキーパンチを狙うだけ。終盤はスタミナも切れて、KOされなかっただけもうけ物のような内容。

 特に内藤は、亀田一辺倒だったTBSに“亀田兄弟の毒消し”として巧みに利用され、無理矢理“代替的な雑草ヒーロー”としてもてはやされいるが、調子に乗っていてはダメだ。テレビ局なんてプロ選手を勝手にチヤホヤして一躍スターに仕立てるが、賞味期限を過ぎればポイ捨てするだけ。

 そんな舞台裏も知らず作られた「正義の味方」や「悪役」にあこがれ、幼稚な「自分らしさ」を重ね合わせて気取るのんきな若者こそ気の毒だ。

 その点、タイガース・ナインは皆礼儀正しい。先日、平田二軍監督と駅でバッタリ会った。「西中さん、こんにちは」と向こうからあいさつしてきた。近況を聞いて、昨夏の北京五輪での話をしているうちに、彼の乗る電車が滑り込んできた。「お元気で何よりでした。それでは、お先に失礼します」と丁寧に頭を下げて車中に消えた。

 矢野捕手とはちょくちょく会うが、彼は常に笑顔を絶やさない。そして、人と話すとき必ず目を見てしゃべる。あの誠実さは、ちょっと早いが将来の指導者としての立派な資質を予感させる。ただし、現役選手としては人を押しのける傍若無人さを少しは持ってほしいときもある。


2009/1/14

星野SDの電話に感謝


 久しぶりに日本で日本で新年を迎えた。ここ数年は、星野仙一阪神タイガースオーナー付きシニアディレクター(SD)とともに、豪州・ゴールドコーストで年末年始を過ごすことにしていたが、今年は体調を考慮して見送った。
 すい臓がんの宣告を受けてからすでに2年半。星野SDの娘さん2人が嫁いでいる三重県津市の永井病院の献身的な治療で、手術を避けて抗ガン治療を続けてもらい、ここまで延命していただいた。遠距離通院を軽減するため、わたしの住む兵庫県西宮市の兵庫医大病院を紹介していただき、サポート体制も敷いていただいた。今のところ、がんを封じ込めているが、決して病巣がなくなったわけではない。長期間、日本を離れることに治療面で不安もあり、今年は自宅でゆっくりと正月を過ごした。
 クリスマスの直前の昼、携帯電話が鳴り「誕生日おめでとう」とゴールドコーストの星野SDから電話が入った。
「もういくつになった?」
「うん、73だよ」
「王さんも長嶋さんも、みんな元気に回復して頑張っておられる。オトウさんもこれから、頑張らんとアカンよ。気力のやり取りが生きる喜びだよ。正月過ぎて戻ったら、気力のやり取りをしようよ。オトウさんも体に気ぃ付けてな。風邪ひいたらアカンで」
 短い会話だったが、SDの気配りが伝わってきた。
 SDは昨年いろいろなことがあり過ぎて、本当に心身ともすり減らした。今年の年末年始はゴールドコーストの別荘で約1ヶ月間、娘や孫たちに囲まれ身内だけで過ごしている。わたしが渡豪していないので、SDが一番年上だ。周囲の目を気にせずゆっくりと孫たちとリラックスするのがSDにとっては至福の時間だ。間もなく帰国して、山本昌投手の200勝達成記念パーティーに出席する。公式行事に出る時のSDは、豪州でくつろいでいる時と身なりや風ぼうを一変させる。それはまるで「公人・星野仙一」として、体内のスイッチを切り替える儀式のようだ。
 今回の豪州旅行に短期間同行しているはずの、医師である2人の娘婿は、普段は病院勤務医のため手術や治療に追い込まくられている。本当に医療現場の勤務実態は過酷で、はたで見ていても「よく体が持つものだ」と感心する。わたしのすい臓がんを「手術せず」と決め、治療してくれているのも彼らだ。聞けば「すい臓がん手術は、技術レベルで不安がある」とのことだそうだ。まるで自分の親の病気に接するように文字通り親身になって取り組んでくれていて、いくら感謝しても足りない。
 わたしとしては「あと何年」という延命目標を定めているわけではない。チューブにつながれ寝たきりで、生き永らえるだけでは意味がない。元気に活動できてこその人生だ。幸いにして自分の足で歩いてどこにでも行けるし、頭もしっかりしている。昨秋の虎仙会パーティーでSDは「のくは有事が好きなんだ。1年に1回は何かある。来年もあるでしょう」と宣言した。その時に生きていて一緒に対策を考えられてこそ、生きている意味がある。
 帰国すればSDはやらなければいけないことが山のようにある。原監督の「侍ジャパン」の選手最終選考の相談にも乗ってやらねばならないだろうし、タイガースも出遅れている今季の補強策についてあれこれと聞いてくるだろう。 
 もっとも、わたしはタイガースの関しては心配していない。阪神電鉄生え抜きの坂井オーナーと南球団社長のコンビはしっかりしているし、それにSDが加われば盤石だ、沼沢、黒田ら背広組トップや平田、山口らユニホームのコーチ陣も、みんな有能だ。FA移籍や高額外国人選手がいなくても、現有勢力の底上げで十分に巨人や中日と互角以上に戦えるはずだ。真弓新監督は、潜在能力豊かな二軍選手を将来の中心選手としてぜひ育成してほしい。